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きょう聖(ねこミミ)

きょう聖(ねこミミ)

元祖デマ男・藤原弘達

2006年5月7日 12:01:10
 学会攻撃のデマ本の「元祖」といえば、「藤原弘達」(昭和44年に出版)。
 学会本部や公明党に、一切、直接、取材もせずに、「300ページ」「だろう」「ようだ」「そんな気がする」と書いては、評論家などから「狙いは『お買い上げ』「恐喝の一歩手前」などと「酷評」されたというw
 喜んだのは、当時の自民党や共産党くらいとか。まぁ、例のように、例のごとく、「金目当て」「選挙目当て」
 しかも、藤原は、日本を代表する政治学者・丸山真男の“門下生”「詐称」していた! この、大ウソつきの、「エロ達(たつ)」!!
 まぁ、ブラック・ジャーナリストw
 ついでに、山崎正友、2006年初頭から、裁判で負けすぎw

『創価新報』2006年3月15日付

青年部座談会 8

元祖デマ男 藤原弘達の正体 上
学会に一度も取材せずに出版
大評論家も“中身がない”“全くデタラメ”と酷評

「藤原は品性下劣な男」新聞記者
大学者の“門下生”も詐称

竹内青年部長
佐藤男子部長
高木男子部書記長
原田男子部教学部長
森山学生部長


本年だけで237万円

 原田 あの極悪ペテン師の山崎正友が、また裁判で断罪された。
 高田 愛媛県の学会員の男性が訴えた裁判だ。「山崎が書いたデマ本で名誉を毀損された」と訴えていた。
 横浜地裁は2月27日、男性側の主張を全面的に認め、山崎に対して110万円の損害賠償を命じた。
 佐藤 いかに山崎がデタラメを書き殴ったか。判決は厳しく糾弾している。「客観的な裏付けが欠ける」「真実とすることはできない」等とバッサリだ。
 森山 そして「(山崎の)違法性は決して低いものとはいえない」と断罪した。
 竹内 これで山崎は、なんと裁判で12回目の敗北だ。
 佐藤 しかも今年に入って4回も断罪された。
 (1)公明党の元町議を中傷した事件で17万円の賠償命令(1月13日、仙台地裁)。
 (2)大阪の学会員を中傷した事件で30万円の賠償命令(1月18日、大阪高裁)。
 (3)元部下の男性をデマで中傷した事件で80万円の賠償命令(1月23日、東京地裁)。
 そして先ほどの断罪だ。
 竹内 たった2カ月で4回も断罪だ。賠償金も合計237万円にのぼる。
 この一点だけでも、どれだけ悪辣、愚劣か! 明々白々じゃないか。
 高田 これが、ウソ八百で学会攻撃をやってきた男の醜悪な正体だ。化けの皮は全部、剥がれた。
 原田 牧口先生いわく「愚人に憎まれたるは第一の光栄なり」だ。
 学会は愚劣な輩から幾多の嫉妬の中傷を受けてきた。それ自体が完璧な正義である証拠だ。

「~かもしれない」

 森山 藤原弘達という男がデタラメな本を出して、学会を中傷したこともあったな。
 佐藤 昭和44年のことだ。僕も生まれていない昔の話だ(笑い)、デマの構図は今と全く変わらない。むしろ時が経って、より鮮明になる事実もある。
 我々も青年として一度、徹底的に検証しようじゃないか。
 竹内 まず重大なことは、藤原は学会本部や公明党に全く取材もせずに本を出したことだ。
 高木 何しろ藤原は、学会のことだけでも300ページも書いた。それなのに、ただの一度も取材しなかったんだ。
 森山 全く信じられないな! 僕は聖教新聞の記者だったが、たとえ1行の記事でも当事者に直接、事実を確認した。そう教え込まれた。
 佐藤 当然だ。それが物を書く人間の常識だ。最低限のルールだ。
 原田 中身もインチキだらけ。実際に読んでみたら、一目瞭然だ。
 書きたい放題、デタラメを書いた揚げ句、肝心な部分は「~だろう」「だそうだ」「であろう」と逃げている。
 竹内 最初から最後まで「といえるかもしれない」「という見方もできよう」「過言ではないようである」という調子だ。
 高木 極め付けは「いるような気がする「とういう側面があったことは否定できない」「というようにも理解することができよう」なんてものまである。
 森山 バカバカしい。そんな書き方だったら、誰でも何とでも書ける。
 佐藤 要するに全部、憶測。ゲスの勘ぐりだけ。デマ本の見本だ。
 竹内 その上、全くの間違いがワンサとある。
 池田先生の青年部時代の役職を間違えるわ。学会の会員数も大幅に間違えるわ。「一事が万事」で、基本的な事実さえデタラメだった。

ゴミ同然の扱い

 高木 そもそも編集のプロセス自体が、いい加減だった。藤原本人が白状している。
 「私が書くんじゃない、学生のアルバイト使って、整理して、それをテープで私の味を出すために読み上げるんだ」「週刊現代」昭和45年1月22日号)と明言している。
 森山 メチャクチャだな! 
 原田 要するに、学生のアルバイトにネタを整理させる。それを藤原は読み上げるだけ。あとはアルバイトが活字にする――それだけで本にしたんだな。
 高木 当然、評判は最低最悪だった。特に一流の評論家やジャーナリストは皆「最低の本だ」とバカにしきっていた。
 佐藤 たとえば、評論家の大熊信行氏。
 「はっきりいって、あの文章からは研究のあとがなにひとつ見出せない。学問的な基礎もなければ、背景もない」とズバリ急所を突いていた。
 森山 政治評論家の戸川猪佐武氏も“藤原氏の本は、事実を知らないで勝手なことをいう「軽評論」だ”と酷評していた。
 評論家の大宅壮一氏は“中身がない。パンフレットを引き伸ばしたようなものだ”とバッサリだ。
 原田 ゴミ同然の扱いだな。
 竹内 そんな本が、なぜ売り出されたのか。
 当時、学会は池田先生の指揮のもと、大発展を続けていた。藤原の本が出た翌年(昭和45年)には「750万世帯」を突破した。
 高木 日本中が学会に注目していた。妬みも凄まじかった。そこに目をつけて「学会のことを書けば、ウソでも何でも売れる」と踏んだんだ。
 佐藤 戸田先生はデマの本質について明確に教えられた。
 「学会のことを書きさえすれば、本が売れるという考え方から、本当の根本理念を知らずして、書き殴る」と語っておられた。
 原田 まさに藤原のことだ。「元祖・デマ男」だ。戸田先生は全部、見破っておられた。
 森山 いまだに、その残党が何匹かいるな。もう誰からもまともに相手にされないが(笑い)。

「女狂い」でも有名

 高木 だいたい藤原というのは、下劣千万で有名だった男だ。
 毎日新聞の記者も「品性下劣なやつだ」と吐き捨てていた。
 竹内 藤原をよく知る大宅壮一氏なんか、ずばり「エロ達」と呼んでいた。
 森山 彼は一時、教授だったが、そこでも評判は最悪だった。
 同僚も「学生にも評判が悪かった。学者としての人間性、品性に欠けるという評価が多かった」(平瀬己之吉教授「週刊現代」昭和45年4月9日号)と証言している。
 高木 こんな事実もある。
 藤原はアフリカの旅行記を雑誌に書いた。ところが、その内容たるや、自分が黒人女性を買春した話をはじめ、下ネタばかり。まるでポルノ小説だった。
 森山 ローマに行った時も、現地の日本人に「ローマの女と遊びたいから案内してくれ」と頼んで、大顰蹙を買った。有名な話だ。
 佐藤 まだまだあるが、あまりに下品すぎるから、やめておこう。

「言論の暴力」

 原田 愚劣なやつ! そんな奴が、学会を中傷するデタラメ千万な本を出そうとした。発売の2カ月以上も前から、広告まで出して大宣伝していた。
 竹内 とにかく悪辣な「言論の暴力」だった。
 なかでも許せなかったのは、藤原が学会の婦人部、女子部を侮辱したことだ。
 佐藤 その通りだ。藤原は、こう書いていた。
 “キャバレーの女の子には学会員が多い”「文藝春秋」昭和38年7月号)
 “学会の情報網は信者のキャバレーの女中やホステスが主で、その知的水準の低さは……”「週刊新潮」昭和44年3月1日号)等々、まるで“遊女”呼ばわりだった。
 高木 バカバカしい。「水準が低い」のは、確かめもせずにウソ八百を書き殴る、お前の文章じゃないか!
 森山 当時のキャバレーについてちょっと調べてみた。
 「(昭和30年代後半から)安キャバレーが次々と生まれた。お客とホステスは話がつけばホテルに行くようになり、キャバレー自体が堕落してしまった」(福富太郎著『昭和キャバレー秘史』)という実態だったようだ。
 原田 藤原が本にも同じようにデタラメを書くのは明々白々だった。
 竹内 だから広告が出た後、学会側は藤原に忠告した。代表が藤原に会いに行った。
 “学会に関する本を出すなら、極端な決め付けではなく、きちんと取材もして、事実に基づいて書いて欲しい”“そのために資料も提供するし、どこでも案内する”と要望したんだ。
 高木 当然だ。それが言論人のルールだ。最低限の常識じゃないか。
 佐藤 ところが、藤原は全く受け入れなかった。結局、最後の最後まで、一度たりとも学会に取材に来なかった。これが真相だ。
 森山 このインチキ野郎!

愚劣な自己顕示欲

 竹内 藤原! こんな話もある。
 彼は戦後日本を代表する政治学者・丸山真男の“門下生”を売りにしていた。ところが、これもデタラメ。「詐称」だった。
 原田 本物の「丸山門下」から“大ウソつき”と糾弾され、正体が暴かれた。
 寺沢一・東京大学教授(当時)も「(藤原は)丸山先生の直接指導を受けたといったようなことはまったくない」と断言していた。
 佐藤 要するに、インチキ、女狂い、自己顕示欲の固まり。そういう男だ。
 その藤原が、まともな取材を全くせずに、学会中傷のデタラメ本を書き殴ったんだ。
 森山 「どういう人間が」「どのようにして」書いたか。全部、明確だな。
 竹内 さらに「どういう時期に」「どういう目的で」書いたのか。この本をめぐる舞台裏も、明らかになってきた。
 これについては次回、語り合おう。


『創価新報』2006年4月5日付

青年部座談会 9

元祖デマ男 藤原弘達の正体 下
“藤原の本は「お買い上げ」が狙い” 評論家の大宅壮一氏

昭和44年 衆院選の直前のタイミングで出版
藤原 共産党とも深く結託

竹内青年部長
佐藤男子部長
高木男子部書記長
原田男子部教学部長
森山学生部長


13回目の大敗北

 佐藤 あの極悪ペテン師の山崎正友が先月、また裁判で負けたな。
 原田 今度は、神奈川県の元議員を中傷した人権侵害事件だ。
 東京地裁が3月9日、山崎を厳しく断罪。33万円の損害賠償を命令した。
 竹内 これで山崎は通算13回目の大敗北だ。
 森山 学生部員も大笑いしていた。
 「インターネットで山崎正友を検索したら、裁判で断罪されたニュースがゴッソリ出てきた」とゲラゲラ笑っていた。

「恐喝の一歩手前」

 原田 ところで前回「元祖デマ男」の藤原弘達の話が出た。
 高木 藤原の出した学会中傷の本が、どれだけデタラメだったか。
 何しろ藤原は、学会にただの一度も取材せずに出版した。しかも自分は書かずに、学生のアルバイトにまとめさせた。この一点だけでも、明々白々だ。
 佐藤 藤原が本を出したのは、昭和44年11月10日だ。これが、どういう時期だったか。
 3週間後の12月2日、衆院が解散し、同月27日には衆院選が行われた。
 森山 選挙の直前のタイミングに出版したんだな。
 原田 当時の新聞等を調べてみた。この年は早くから「衆院の解散が5月から年末にある」と取り沙汰されていた。
 7月には都議会議員選挙があった。だから5月の解散がなくなった時点で「解散は11月の佐藤首相(当時)の訪米後」という見方が強まっていた。
 高木 8月29日には、佐藤首相自身が「12月解散」を示唆した。マスコミが一斉に報じ、一気に年末選挙のムードになった。
 佐藤 当時の関係者の話によると、藤原の本は7月に出版企画が煮詰まったという。8月31日には、全国に広告を出した。
 原田 首相が解散を示唆した翌々日に広告を打ち、解散の3週間前に出版した。衆院選への流れと完全に動きが一致しているな。
 竹内 とうてい偶然とは考えられない。藤原が「選挙の時期」を狙ったことは、当時の記録からも明らかだ。
 森山 だいたい出版の2カ月以上も前から、全国に広告を出すなんて、異例中の異例だ。
 原田 しかも藤原は、この本を2年前にできたばかりの出版社から出した。当時は誰も知らない会社だった。
 高木 そういうところを使わないと出せない代物だったんだよ。
 佐藤 その通りだ。まともな本を、まともに売るつもりなら、名の知れた出版社から出せばいい。
 実際、藤原は当時、講談社や読売新聞社などから何冊か本を出していた。
 森山 それだけじゃない。藤原は「初版10万部で出版する」と触れ回っていた。
 本の初版は平均で約8000部と言われている。それが10万部だ。
 竹内 無名の出版社しか出せないデタラメ本を「初版で10万部」か。誰が、どう見ても、まともな出版じゃない。
 高木 当時、評論家の大宅壮一氏が、鋭く指摘していた。
 「(藤原の本は)選挙のドサクサを利用し、お買い上げ的な効果を狙って出したという風に、第三者が解釈しても仕方のない一面を持っている」
 「場合によっては恐喝の一歩手前という性格をもっている」と切り捨てていた。
 原田 ほかのマスコミ人も見破っていた。
 「藤原は、本をまともに売ろうとしたんじゃない。初めから『学会の買い取り』を狙ったんじゃないか」
 「選挙前に『さあ出しますよ』と宣伝すれば、出回らないように学会が買い取ると踏んだんだろう」と指摘する専門家もいた。

キワモノ出版

 森山 大宅氏は、藤原の本の内容についても一刀両断していた。
 「安易なプロセスによって書き上げられている。きわめてぞんざいな方法である。これではキワモノ出版といわざるを得ない」とバッサリだ。
 竹内 書かれた藤原は大慌て。狂ったように大宅氏を中傷しだした。
 大宅氏の評論を載せた雑誌にまで「マスコミ界の内ゲバ(=仲間への攻撃)」などと噛みついた。
 原田 よっぽど痛いところを突かれたんだな(笑い)。
 佐藤 前回も話しただが、本の広告が出た後、学会の代表が藤原に会いに行った。
 “学会に関する本を出すなら、極端な決めつけではなく、きちんと取材もして、事実に基づいて書いて欲しい”“また、そのために資料も提出するし、どこでも案内する”と要望した。
 高木 ところが藤原は、最後まで一度も取材せずに本を出した。
 それどころか、学会に「買い上げ」の意図などないと知るや突然、学会側の忠告を“言論弾圧だ”などと騒ぎ出した。
 森山 なぜ大騒ぎを始めたのか。自分の本を宣伝しようという魂胆が見え隠れしているな。
 竹内 ほかでもない、藤原本人が“騒いだから売れた”と白状している。
 本の初版は10万部だったが、藤原は後で「騒ぎにならなかったら、3万から5万しか売れなかったろう」と漏らしていた。
 原田 要するに「売らんがため」「金儲けのため」じゃないか。

「商人の立場」

 佐藤 藤原は裏で特定の政治家と根深く結びついていた。「権力の側」の人間だった。
 本が出た後、与党の大物政治家が“よくやった”“頑張ってくれ”と藤原を激励していた。有名な話だ。
 高木 それだけじゃない。藤原は、この本を宣伝するために、長年「不倶戴天の敵」だった共産党とも手を結んだ。
 森山 その通りだ。当時、共産党は機関紙で毎日のように藤原の本を大宣伝した。誰が見ても、一番の“大スポンサー”だった。
 竹内 藤原本人が“共産党は、あれだけ宣伝してくれた。何百万円、何千万円の宣伝費かもしれない”と感謝していたほどだ。
 原田 だが、その直前まで藤原は共産党について、どう言っていたか。
 「(共産党の)やり方はまことに卑劣でありしかも陰険でさえある。ヤミ討ちとか背信などは当たり前のことで、しかも常にカゲにかくれて、同調者を操る」
 「日共の現実を知れば知るほど、幻滅は大きく、むしろ嫌悪の情さえおぼえる」等々、完全にコキ下ろしていた。
 佐藤 ところが本の宣伝をしてもらった途端、コロッと変わった。その同じ口で「共産党を見直した」「高く評価したい」「感謝している」などと、持ち上げ始めた。
 高木 「まことに卑劣」「陰険」「嫌悪」してきた相手を、いっぺんに「見直した」「高く評価」か。バカバカしい!
 森山 同業の評論家からも笑われていた。
 「藤原の態度は、どう見ても異常」
 「本を売りたいという焦りで『赤旗』を利用したのでは、商人の立場と変わりない」等々、バカにされ抜いていた。

病的な無節操

 原田 とにかく藤原という男は、病的な「無節操」「無思想」で有名だった。
 経営評論家の三鬼陽之助氏も語っていた。
 「調子が良いんだ。中国の人と話してるときには『佐藤内閣絶対反対』てなことをいってて、日本向けのわれわれの座談会になると『佐藤内閣支持』の立場でモノをいう」と証言していた。
 竹内 その男が金儲けを狙って「個人の立場」で学会中傷の本を書き殴った。これが真相だ。
 佐藤 共産党も負けず劣らず、変節の狂態を晒した。共産党は、それまで機関紙で藤原をさんざん罵倒していた。
 「低劣、野卑」「(藤原の文章は)およそ低級で、ゴロツキ雑誌などに見受けられる古くさい『アカ』攻撃や中傷」「真面目に相手にする価値あるしろものではない」
 「藤原弘達なる人物こそ、時の権力におもねって『出世』することしか念頭にない『保守的な人間』「赤旗」昭和42年2月27日付)等々、口を極めて罵っていた。
 高木 ところが、藤原が学会中傷の本を出した途端に大応援。
 手のひらを返して、藤原を「正義の味方」「真実の友」などと持ち上げはじめた。藤原本人が、そう言っていた。
 森山 共産党は藤原に取材し、衆院選投票日の10日前から毎日、機関紙に学会、公明党を中傷する記事を掲載。最後は号外まで出してバカ騒ぎした。
 原田 「選挙狙い」「票狙い」の魂胆が見え見えじゃないか。
 竹内 嫉妬だよ、嫉妬。共産党は公明政治連盟(公明党の前身)の時代から、国政選挙で一度も公明党に勝ったことがなかった。
 高木 その通りだ。公明党が衆院に初進出した昭和42年の衆院選挙でも、公明党は一挙に25議席を獲得したが、共産党は、たったの5議席。まったく相手にならなかった。
 佐藤 まともに争ったじゃ、逆立ちしても公明党には勝てない。そこで「低級で、ゴロツキ」の藤原のデタラメ本に飛びついた。藤原を使ってて、何とか学会と公明党に嫌がらせをしようと血眼だったんだ。
 高木 あそこは今も同じだ。偉そうに「理論」だの、何だと言うが、本質は陰湿な「謀略」「デマ宣伝」。体質が全然、変わらない。
 森山 だから皆から「進歩がない」とバカにされている。
 竹内 要するに、藤原のデタラメ本騒ぎは「金狙い」「票狙い」で起こしたものだった。
 原田 バカバカしい。「信なき言論、煙のごとし」だ。
 今の学会を見よ! 池田先生の指揮のもと、世界190カ国・地域に隆々と大発展だ。
 公明党も連立政権参加7年目を迎え、政界の要として力を発揮している。
 佐藤 藤原は公明党が勝てば、学会が国教化する”などとバカ騒ぎしていたが、全く逆だ。学会は「世界宗教」だ。今や世界の常識だ。

藤原の末路

 高木 藤原の末路は、惨めだった。平成6年、反学会の宗教団体などが作った「四月会」に顧問として参加。だが、その直後から衰弱し、最後は表に出られなくなったまんま、平成11年、病気で死亡した。
 森山 四月会も平成13年に空中分解し、崩壊した。
 原田 戸田先生は学会に対する、したり顔の浅薄な“評論”を笑い飛ばしておられた。
 なぜ学会は発展しているのか。「学会には信心がある! 御本尊様がある! この御本尊の功徳から、みな出たものではないか。それに気がつかない」。一刀両断に斬り捨てておられた。
 佐藤 御書に「当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」と仰せの通りだ。
 藤原なんか「学会の信心」を何一つ知らずに、デタラメを書き殴った。「習い損ないの学者」の典型だ。
 高木 いまだに、その同類の輩がいるな。
 竹内 学会は大発展した。戸田先生が指導された通り「学会の信心が正しい」証拠だ。
 そして「学会の師弟」こそ最高の正義である証拠だ。
 さあ「5・3」へ! 「青年の拡大」を合言葉に、猛然と戦おうじゃないか!



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